2018年7月の『視野を広げる必読書』
顧客満足度4年連続トップのホテルチェーンは何が違うのか
最近、出張や旅行の際には、特定のホテルチェーンを宿泊先に選ぶことが多い。近年成長めざましい、黄色い看板が特徴のビジネスホテルチェーンだ。
私はたいてい、1日の活動を終えて夕食をすませてから、夜遅くにチェックインする。
それでもゆったりと風呂に入りたいし、ある程度広さのあるベッドで熟睡したい。さらに翌朝はヘルシーな朝食をとり、エネルギーを補給してから出かけたい。
そんなニーズにぴったりフィットするのが、そのホテルチェーンなのだ。
多くのホテルでは、疲れて到着したのにフロントで住所や名前、電話番号などを書かされて面倒だ。だが、このホテルではそのプロセスが不要。専用端末を操作するだけでいいのだ。しかも宿泊代金が前払いなので、翌日のチェックアウト手続きも必要ない。
部屋はコンパクトだが清潔で、静かだ。広めのベッドは寝心地がいい。硬さや高さが違う7種類から自分好みの枕を選べるのもうれしい。
天然温泉の大浴場が設置されていることも多い。全ホテル共通で、有機野菜を使った健康志向の朝食も楽しめる。
しかも宿泊料が安いとくれば、私がお気に入りにしたくなるのも当然だろう。
私以外のお気に入り客も多いようだ。同ホテルチェーンは、CS(顧客満足度)に関する調査・コンサルティングの国際的な専門機関であるJ.D.パワーの2017年度日本ホテル宿泊客満足度調査(1泊9,000円未満部門)で「4年連続第1位」となったと発表している。
本書『ブルー・オーシャン・シフト』は、このホテルチェーンのような成功を収めるためにどうすればいいかを具体的に教えてくれる。すなわち、競合と差別化したサービスや商品で、これまでになかった、あるいは気づかれなかったニーズを満たす戦略。紹介したホテルの例で言えば、私のようなニーズを持つ宿泊客という「新しい市場」を見いだし、それに合わせたサービスで競合と差をつけるということだ。
著者のW・チャン・キム氏とレネ・モボルニュ氏はいずれも、フランスに本校があるビジネススクールINSEAD(インシアード)の教授で、同校ブルー・オーシャン戦略研究所の共同ディレクター。世界経済フォーラムのフェローを務めるほか、ブルー・オーシャン・グローバル・ネットワークの設立者でもある。
2005年に米国で出版された同じ2人の共著『ブルー・オーシャン戦略』は、44カ国語に翻訳された世界的なベストセラーだ。
この前著と本書の中心テーマであるブルー・オーシャンとは何か。これは、競合がまだほぼいない未開拓の市場を指す言葉だ。青い平和な海に例えてキム氏とモボルニュ氏が名づけた。その対となる「レッド・オーシャン」は、競合だらけで、血で血を洗う激しい競争が展開される市場である。
前著は、主にブルー・オーシャンやレッド・オーシャンがどういうものかを紹介する内容だった。本書は、前著までを含む30年近くに及ぶブルー・オーシャン研究の成果を踏まえ、実際にあらゆる業界や組織が、レッド・オーシャンを脱出してブルー・オーシャンへ移行する体系的な方法を提案している。
自社や競合の競争要因を見える化する「戦略キャンバス」
本書では、レッド・オーシャンからブルー・オーシャンへと移行する際に使えるさまざまなツールを紹介しているのだが、その1つに「戦略キャンバス」がある。提供する商品やサービスにおけるいくつかの「競争要因」をそれぞれ点数化し、グラフで「見える化」するものだ。
自社や競合他社の戦略キャンバスを描くことで、類似点や相違点が一目でわかるようになる。
例えばホテルならば、
・フロントやコンシェルジュの充実度
・レストランやルームサービスの充実度
・客室の広さ
・清潔さ
・睡眠環境の良さ
・立地の便利さ
などが競争要因に挙げられるので、おのおのに点数をつけていく。
多くのビジネスホテルでは、各5点満点で、
・フロントやコンシェルジュの充実度:2
・レストランやルームサービスの充実度:2
・客室の広さ:1
・清潔さ:3
・睡眠環境の良さ:3
・立地の便利さ:4
といったところだろう。
もし自社の戦略キャンバスが、上記と大差なければ、レッド・オーシャンから抜けるのは難しい。差別化できるのは宿泊代金ぐらいになり、価格競争に陥ってしまうだろう。それではなかなか利益を上げられず、消耗するばかりだ。
ブルー・オーシャンを見つけてそこに移るには、顧客が価値を見いだす、価格以外の競争要因は何かを見定め、そこで良い点数が取れるよう注力する必要がある。
「4つの問い」を使って常識から離れてみる
注力すべき競争要因を見つけるためには、基本的なことではあるが「顧客の視点から見る」ことだ。買い手(あるいはサービスの受け手)が、どんなことを解決したがっているかを探ろう。
ホテルのケースならば、実際に平均的なビジネスホテルを利用してみることだ。利用者の視点で、どんなことが苦痛だったり、不便と感じたりするのかを発見する。そして、それをどう解決するかを考える。その際、「ビジネスホテルとはこういうものだ」という常識から離れてみるのがコツだ。
解決策を考えるのに役立つのが、著者らが提供する「4つのアクション」という分析の枠組みである。「取り除く」「減らす」「増やす」「創造する」というものだ。
4つのアクションには、それぞれを誘導する、以下の4つの問いがある。
(1)業界常識として備わっている要素のうち取り除くものは何か
(2)業界標準と比べて大胆に減らすべきものは何か
(3)業界標準と比べて大胆に増やすべきものは何か
(4)業界でこれまで提供されていない、今後創造すべきものは何か
もし冒頭で紹介したホテルチェーンの戦略を、4つの問いを考えながら立てていくとしたら、どうなるだろう。
まず、平均的なビジネスホテルを利用してみる。疲れてホテルに到着した時点で、さっそく苦痛を感じるだろう。以前にも同じホテルに泊まったことがあるのに、また名前や住所を書かなければならない。そして、そのためにフロントに並ぶことを強いられるからだ。
そこで(1)の問いを発してみる。「フロントを取り除けないか」と考えるのだ。
だが、フロントを取り除いたとしても、チェックインの手続きは必要だ。それならば、と(4)の問いを発する。そうすることで「セルフチェックイン用の端末」という創造のアイデアが浮かぶかもしれない。
部屋について、寝るだけならば(2)の問いを発して、部屋の大きさを減らしてもいいだろう。その代わり、快眠のために(3)の問いを発動し、選べる枕の種類を7種類に増やす。
このように、4つの問いは、取り除くものとその代わりに創造するもの、減らす代わりに増やすもの、というようにメリハリをつけながら考えていくのがポイントだ。
このように検討していくと、このホテルチェーンの戦略キャンバスはおそらく下記のようになる。
・フロントやコンシェルジュの充実度:0
・レストランやルームサービスの充実度:0
・客室の広さ:1
・清潔さ:3
・睡眠環境の良さ:5
・立地の便利さ:4
これは、明らかに平均的なビジネスホテルとは異なる。
このような戦略キャンバスが作成できたら、あとはそれをもとに、市場を探りながらビジネスモデルを構築していけばいい。本書は、そのためのステップやツールについて、実例を挙げながら実践的に解説している。
レッド・オーシャンでの過酷な競争から脱し、ブルー・オーシャンを目指すには、まずは自社と競合他社の戦略キャンバスを描き、本書に沿ってシミュレーションをしてみるのがいいかもしれない。
情報工場 シニアエディタ― 浅羽 登志也
愛知県出身。京都大学大学院工学研究科卒。1992年にインターネットイニシアティブ企画(現在のインターネットイニシアティブ・IIJ)に創業メンバーとして参画。黎明期からインターネットのネットワーク構築や技術開発・ビジネス開発に携わり、インターネットイニシアティブ取締役副社長、IIJイノベーションインスティテュート代表取締役などを歴任。現在は「人と大地とインターネット」をキーワードに、インターネット関連のコンサルティングや、執筆・講演活動に従事する傍ら、有機農法での米や野菜の栽培を勉強中。趣味はドラム。