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2018年2月の『押さえておきたい良書

『不死身の特攻兵』-軍神はなぜ上官に反抗したか

何度も出撃しながら生還した特攻兵が語る秘話

『不死身の特攻兵』
 -軍神はなぜ上官に反抗したか
鴻上 尚史 著
講談社(講談社現代新書)
2017/11 296p 880円(税別)

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 戦後70年以上が過ぎたとはいえ、「特攻隊」という言葉を聞いたことがないという人はまれだろう。念のため説明すると、「特別攻撃隊」の略で敵に体当たりする攻撃部隊を指す言葉だが、第2次世界大戦末期の、自らの命を犠牲にして敵基地や敵艦隊に突撃した日本軍の航空隊の呼称として用いられることが多い。

 本書『不死身の特攻兵』は、実在したある特攻兵(特攻隊の一員)にスポットをあてたノンフィクション。その特攻兵とは、陸軍初の特攻隊「万朶(ばんだ)隊」のパイロット、佐々木友次さんである。佐々木さんは何度も繰り返し(諸説あり、本書では9回とされる)特攻に出撃するも、そのたびに生還し、戦後を生き抜いた(2016年2月に他界)。

 本書では、劇団「第三舞台」を率いて劇作家・演出家として活躍した鴻上尚史氏が、本人へ直接インタビューした際の証言や特攻隊にまつわる文献をもとに、当時の特攻の心理や実態、軍の組織論理などを描き出している。

 著者は第三舞台を解散しており、現在は演劇プロデュースユニット「KOKAMI@network」と劇団「虚構の劇団」を中心に活動。エッセーや演劇関連の著書も多く、ラジオ・パーソナリティー、テレビ番組の司会、映画監督など幅広く活躍している。

体当たりせずに済むように隊長が特攻機を改造

 佐々木さんの最初の特攻は1944年11月12日。800キロの爆弾を積んだ爆撃機で、フィリピンのレイテ湾に駐留する米軍艦隊に突っ込む作戦だ。

 司令部が用意した爆撃機(特攻機)は当初、爆弾を落とせないようになっていた。体当たりするしかないように、爆弾が機体にくくりつけられていたのである。しかし、当時の爆弾の性能では体当たりしても一度では大したダメージにはならない。それを分かっており、隊員を無駄死にさせたくなかった万朶隊の岩本益臣隊長は、独断で爆弾を投下できるように特攻機を改造していた。(岩本隊長は隊が出撃する前に戦死している)

 万朶隊は、岩本隊長の指示で体当たりではなく「急降下爆撃」を攻撃の主軸とした。敵艦の上空500メートルまで近づく急降下爆撃には高度な操縦技術が求められ、わずかな判断ミスが死につながる。それでも佐々木さんは自分でも意外なほど冷静な気持ちで出撃に臨んだという。

 そして佐々木さんは急降下爆撃により敵船の攻撃に成功。その後、近くの島に不時着した。

「体当たりしてこい」と何度も命令が下る

 佐々木さんが基地に戻ると、体当たりしたものと思い込んでいた上層部は「死ぬのが怖くなったのではないか」と糾弾した。そして「次こそは死んでこい」と言わんばかりに、立て続けに出撃命令を下す。

 だが、いくら出撃しても佐々木さんは死ななかった。死ぬつもりはなかったようだ。4度目の出撃前、上役である大佐や中佐に「必ず体当たりしてこい」と言われたときには、次のように答えた。

 “「私は必中攻撃でも死ななくてもいいと思います。その代わり、死ぬまで何度でも行って、爆弾を命中させます」”(『不死身の特攻兵』p.109より)

 当時の軍隊では、自分より階級が上の者に反論するのは許されないことだった。それにも関わらず、佐々木さんは自らの信念を貫いたのだ。

 著者は、佐々木さんの驚異的な精神力、生命力を描きつつ、特攻命令を出し続けた軍部の不条理さを厳しく批判している。特攻隊や戦争、日本的な倫理や集団心理、そして「生と死」についてなど、さまざまなことを考えさせられる1冊だ。

情報工場 エディター 安藤 奈々

情報工場 エディター 安藤 奈々

神奈川生まれ千葉育ち。早稲田大学第一文学部卒。翻訳会社でコーディネーターとして勤務した後、出版業界紙で広告営業および作家への取材・原稿執筆に従事。情報工場では主に女性向けコンテンツのライティング・編集を担当。1年半の育休から2017年4月に復帰。プライベートでは小説をよく読む。好きな作家は三浦しをん、梨木香歩、綿矢りさなど。ダッシュする喜びに目覚めた娘を追いかけ、疲弊する日々を送っている。

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2018年2月のブックレビュー

情報工場 読書人ウェブ 三省堂書店