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2018年1月の『視野を広げる必読書

『西郷どんとよばれた男』

幕末・維新の英傑・西郷隆盛は、なぜ悲劇に見舞われたのか

『西郷どんとよばれた男』
原口 泉 著
NHK出版
2017/08 224p 1,100円(税別)

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明治維新から150年の2018年、大河ドラマの主人公に

 本コンテンツが掲載される頃には放送が開始されている、2018年のNHK大河ドラマは『西郷(せご)どん』である。舞台は幕末から明治維新。タイトルからわかるように、薩摩(現在の鹿児島県)の英雄、西郷隆盛が主人公であり、その生涯が描かれる。脚本は朝ドラ『花子とアン』などで知られる中園ミホ氏、西郷を演じるのは、その花子とアンでも好演していた鈴木亮平だ。なお、2018年は明治維新から150年後にあたる節目の年である。

 大河ドラマで西郷隆盛が主人公となるのは初めてではない。1990年の『翔ぶが如く』では西田敏行演じる西郷隆盛と、鹿賀丈史がふんした大久保利通の2人が主人公だった。その後、主演ではないが、幕末の薩摩を舞台にした『篤姫』では小澤征悦、『龍馬伝』で高橋克実、『八重の桜』で吉川晃司が、それぞれ印象的な西郷隆盛を演じた。

 はたして今年の大河では、どんな新しい西郷隆盛像が生まれるのだろうか。

 西郷隆盛については、日本人なら誰もがその名を知っており、今でも多くの人が親しみをもっているはずだ。しかし、実はよくわかっていない部分もいくつかあり、誤解されている点も多々あるのだという。

 まず、写真が1枚も残っていないため、本当はどんな風貌だったのかがはっきりしない。大半の人は東京の上野恩賜公園にある銅像を思い浮かべるのではないだろうか。この銅像で有名なエピソードの1つに、除幕式で西郷夫人が銅像を初めて見て、「うちの人はこんなお人ではなかったのに!」と嘆声を上げた、というものがある。これについては、顔や体形ではなく、銅像の格好がラフな着物姿だったために、「(西郷隆盛は生前)こんな格好で人様の前には出ていなかったのに」という意味だった、という解釈もある。

 そんな数々の興味深いエピソードを交えながら西郷隆盛の波乱の一生を追い、その人物と行動の謎に迫るとともに、重大な誤解についても真相を解き明かしているのが、本書『西郷どんとよばれた男』である。著者の原口泉氏は、『西郷どん』をはじめ『翔ぶが如く』『琉球の風』『篤姫』といった大河ドラマの時代考証を担当した人物だ。現在は鹿児島大学名誉教授、志學館大学教授、鹿児島県立図書館館長を務めている。

「無私」「自己犠牲」を貫いた西郷隆盛の生涯

 薩長同盟、江戸無血開城、廃藩置県など幕末・維新のきわめて重要な局面で前面に立っていた西郷隆盛は、間違いなく英傑であり「歴史の主役」の一人である。だが、人気は高いものの、坂本龍馬には遠く及ばない。

 賃貸・不動産情報サイトのat home VOXが2015年に行ったアンケート調査で、「幕末~明治維新の人物で、好きな人物を一人挙げてください」に対する回答の1位は、大方の予想通り坂本龍馬だった。西郷隆盛は2位。3位は吉田松陰と勝海舟だったが、注目すべきはその得票数。坂本龍馬144票に対し、西郷は16票、吉田と勝は13票と大差がついている。

 もちろん無数の小説や漫画、ドラマ、映画、ゲームなどで取り上げられてきた坂本龍馬と差があるのは当然だろう。また、常に前のめりに、さっそうと、大胆に行動していたと思われる龍馬に比べ、西郷はどっしりと構えて、どちらかというと「受け身」のイメージがある。時代の大波に翻弄された印象が強い西郷よりも、自分の意志で道を開いたように感じられる龍馬の方に、「カッコよさ」では分があるのはよくわかる。

 本書を一読して印象に残るのは、西郷の「無私」「自己犠牲」の精神だ。
 西郷が残した言葉を集めた『南洲翁遺訓(なんしゅうおういくん)』の中に、広く人口に膾炙(かいしゃ)している次のような言葉がある。

「命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は、始末に困るもの也。此の始末に困る人ならでは、艱難(かんなん)を共にして国家の大業はなし得られぬなり」

 これは、山岡鉄舟を指して言ったとされる言葉ではあるが、本書の著者、原口氏は、西郷自身の心境でもあったのではないか、と指摘している。

 同じく南洲翁遺訓にある
「道は天地自然のものにして、人はこれを行うものなれば、天を敬するを目的とす。天は、人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以(も)って人を愛するなり」
も有名だ。これは「敬天愛人」という西郷の生涯のモットーとして知られる。キリスト教的な思想が垣間見られるのも興味深い。

 日本を代表する実業家の一人である稲盛和夫氏は、同郷の偉人として西郷隆盛を引き合いに出すことが多い。とりわけその無私の精神が経営にとって大事なのだと、折に触れて発言している。

 西郷は、自身の壮絶な最期につながる西南戦争の首謀者とされるが、本書を読むかぎり、自分から進んで事を起こそうとしたわけではないようだ。中央政府のゴタゴタが原因で帰郷し、地元で開墾事業と私学校での教育に携わった。反乱を起こすのを目的に故郷に戻ったわけではない。

 ところが地元の士族たちの間には、政府への不満がくすぶっていた。そこに皆をまとめる能力のある西郷が戻ってきたので、リーダーに担ぎ上げられてしまったのだろう。原口氏は、この時点で西郷は「自己決定を諦めた」のだと推察している。「おいの体は差し上げもそ」という一言で、自分の身をていする覚悟を決めたのだという。

 おそらく西郷は、自分の命を犠牲にすることで、争いを早急に収めたかったのではないだろうか。究極の自己犠牲と「利他」の精神がそこにある。

西郷が唱えたのは「征韓論」ではなかった

 西郷が下野するきっかけとしては「征韓論」がよく知られる。西郷隆盛は、韓国に出兵することを強硬に主張し、反対されて腹を立て明治政府を退いた。少なくとも私はそう教わった記憶がある。

 しかし、当時から少しふに落ちない気がしていた。どうも他の面から抱いていた西郷隆盛のイメージにそぐわなかったのだ。

 本書に、その違和感を解消する説が書いてあった。原口氏は、西郷が唱えたのは征韓論ではなく「遣韓論」だったと主張する。西郷隆盛が征韓を主張したという記録は一切残っていないのだという。

 つまりこういうことだ。国交が断絶していた当時の朝鮮に対し、政府内では軍事力行使を含む強硬政策をとるべき、という声が高まっていた。西郷はそれに対し「軍隊を使わずに、しかるべき位を持った人間が、きちんと正装をして行き、こちらの意図を礼儀正しく述べて理解を深めるべき」と反論したという。そして、その使節に自分がなると言い、「もし自分が殺されたら、それを口実に出兵すればいい」と強い決意と胆力を示した。

 この言葉の最後が一人歩きしたのが誤解の始まりだと、原口氏は説明する。つまり、原口氏の主張が正しいとすると、西郷はこれまで一般に理解されていたのとは正反対の主張をしていたことになる。

 原口氏はさらに、西郷はアジアを重視し、西欧列強に対抗するために、朝鮮・清国(現在の中国)・日本の三国同盟を目指していたと考えているそうだ。歴史に「if」は禁物だが、西郷隆盛が明治政府に残っていたら、今の世界はまったく違うものになっていたのではないか。

 農業を中心に国づくりを進める「農本主義」を考えていたとされる西郷隆盛は、人格面でも優れ、人望が厚い、バランスのとれた政治家だった。本書にあるエピソードをつなぎ合わせれば、そう考えざるを得ない。なぜ彼の理想は頓挫したのだろうか。運命だったと言えばそれまでだが、無責任を承知で言えば、もう少し「我」を出すべきではなかったか。

 大河ドラマ「西郷どん」は、そんな視点からも楽しみたいと思っている。

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

情報工場 チーフエディター 吉川 清史

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。出版社にて大学受験雑誌および書籍の編集に従事した後、広告代理店にて高等教育専門誌編集長に就任。2007年、創業間もない情報工場に参画。以来チーフエディターとしてSERENDIP、ひらめきブックレビューなどほぼすべての提供コンテンツの制作・編集に携わる。インディーズを中心とする音楽マニアでもあり、多忙の合間をぬって各地のライブハウスに出没。猫一匹とともに暮らす。

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2018年1月のブックレビュー

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