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2017年1月の『視野を広げる必読書

井伊直虎 女領主・山の民・悪党

なぜ直虎は“おんな城主”として歴史的役割を果たせたのか

『井伊直虎 女領主・山の民・悪党』
夏目 琢史 著
講談社(講談社現代新書)
2016/10 240p 760円(税別)

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最近になって歴史の表舞台に登場した井伊直虎

 われわれ凡人は、歴史は固定的で動かないものだと考えがちだ。しかし、実際には、歴史上の事実や解釈は研究が進むにつれ変わることがよくある。正しいものとして教えられてきた歴史の教科書の内容でさえ、私が子どもの頃(1970年代)に習ったものと今では異なる記述がいくつもあるというから驚きだ。

 たとえば足利尊氏を描いたものとされていた肖像画。馬にまたがり刀を背負った有名な絵だが、最新の研究でこの絵に描かれているのは足利尊氏ではない可能性が高くなった。そのため今使われている教科書には「騎馬武者像」として紹介されているか、絵自体が掲載されなくなったか、いずれかのようだ。
 また、大化の改新について、私の時代では645年に始まったと習った。それが、何をもって「始まった」とするかの解釈が変わり、今では646年と教えられているそうだ。

 最近の研究で突然歴史の表舞台に出てきた人物もいる。2017年のNHK大河ドラマ『おんな城主 直虎」の主人公、井伊直虎だ。男性のような名前だが、ドラマのタイトル通り女性だったのは間違いないとされている。しかし、戦国時代に女性の城主がいたことを授業で習った人はほとんどいないのではないだろうか。実は直虎が注目されるようになったのは、この十数年のことらしい。

 本書『井伊直虎 女領主・山の民・悪党』の著者、夏目琢史氏は1985年に静岡県浜松市に生まれている。井伊家ゆかりの地とされる引佐(いなさ)町は同じ浜松市内にある。日本史を専門とする若手研究者であり、現在は一橋大学附属図書館助教。『アジールの日本史』『近世の地方寺院と地域社会』『文明・自然・アジール』(いずれも同成社)などの著書がある。

 夏目氏は中学3年の頃に井伊家の菩提寺だった龍潭寺(りょうたんじ)を初めて訪れた。そしてその時に住職から聞いた井伊直虎の話に興味を抱く。以来15年間、直虎について調べ続けてきたそうだ。

 直虎に関する史料は、わずかしか残されていないという。しかし夏目氏によれば、「戦国期の女性」の史料はそもそも稀少であり、直虎ほど史料に恵まれた女性はいないという見方もできる。

男と女、当主と僧侶の両面を活用した直虎の戦略

 本書の第一章では、夏目氏が史料から読みとった直虎の生涯がまとめられている。第二章では、井伊家や直虎の歴史的な位置づけや意味づけについて、若手研究者らしい野心的な仮説を提示している。

 まずは第一章の内容をもとに、なぜ井伊直虎という人物が注目されているのかを簡単に紹介したい。

 井伊家といえば、徳川家康の側近として江戸幕府の樹立に貢献した徳川四天王の一人である井伊直政が知られている。あるいは、幕末期の江戸幕府で大老を務め、日米修好通商条約に調印した井伊直弼(なおすけ)の方が有名かもしれない。戦乱の世に終止符を打ち太平の世を築く、また日本の近代化へといった日本史上の二つの大きな転換期に重要な役割を果たした家系なのだ。

 実は井伊家の当主は戦国大名ではなかった。遠江国引佐郡井伊谷(いいのや)(今の静岡県浜松市北区引佐町)の国衆(くにしゅう)だった。国衆とはその土地とのつながりが強い領主のことを指す。領地に城を構えていたが、より広い地域に支配力をもつ戦国大名の家臣団に組み込まれることが多かった。国衆は、大名同士の争いに巻き込まれて戦わなければならない、比較的弱い立場にあったのだ。

 井伊家の場合は、戦国末期の遠江国を巡る今川、武田、織田などの戦国大名同士のせめぎ合いの狭間に立たされた。そうした争いの中で、当主の戦死や、内部の権力争いによる謀殺が相次ぐ。結果として井伊家の跡を継げる成人男子がいなくなり、存続の危機に瀕することになる。

 その際に、女性ながら一時的に井伊家の当主を務め、家の危機を救ったのが直虎なのだ。将来、井伊家の跡とりとなれる幼い虎松(後の井伊直政)を守り育て、その後浜松に勢力を伸ばしてきた徳川家に出仕させることに成功する。

 直虎はなぜ戦乱の世、しかも激しいお家騒動の中で自らの役割をまっとうすることができたのか。ポイントはまず、直虎が井伊家の当主の血筋を引き継ぐが、女性であったことにあると思う。さらに、龍潭寺で出家しており、僧侶でもあったことにもある。必ずしも意図的ではなかっただろうが、直虎はそれらの二面性をうまく利用できていたのだ。

 もし直虎が男性だったら、22代当主を引き継いだ父直盛とともに桶狭間の戦いに駆り出され、戦死していたかもしれない。また直虎は当主になった後、家老の小野但馬守に実権を奪われ、城から追い出されてしまう。この時も、直虎が男だったら殺されていただろう。女性で、しかも出家した身だったために、反撃の可能性がないと判断され、龍潭寺に戻れたのではないか。そこで命拾いをしたことが、その後の徳川家康の力添えによる実権奪回につながる。

 ところで歴史家の間では、直虎は当主を継ぐ時に還俗(僧が俗人に戻ること)したというのが定説になっているようだ。しかし、夏目氏は還俗はしなかったと考えている。当時のルールでは、尼僧は一度出家すると還俗が許されなかったからだ。

 直虎は出家の際に「次郎法師」という男性僧侶名をもらっている。この名は、井伊氏の家督相続者を示す「備中次郎」に、僧侶の名前である「法師」を合わせたものだ。名前だけだと男性で通るし、名前自体、当主か僧侶かまぎらわしい。おそらく直虎は、男性か女性か、僧侶なのかそうでないのか、わざとはっきりさせず、そのあいまいさを利用しながら当主の仕事をしていたのではないだろうか。

 夏目氏が本書で提示する史料や、独自の分析も含めた解説を読みながら、自分もあれこれ考えるのはとても楽しい。歴史の楽しさは、確定した事実を覚えて知識を増やすだけでなく、さまざまな可能性に思いを巡らせられるところにあるのかもしれない。

映画『もののけ姫』のベースとなった歴史観で仮説を提示

 本書の第二章で展開される大胆な仮説を読むと、夏目氏は井伊直虎の時代を、いわゆる「網野史観」で解釈しようとしていると分かる。網野史観は日本の中世を対象としているのだが、夏目氏は直虎の時代を、中世が戦国期以降の近世へと転換する時期に位置づけようとしているのではないか。

 網野史観とは、日本中世史を専門とする歴史学者の網野善彦氏の学説を指す。中世の日本社会が定住農耕民中心ではなく、農業に従事しない多様な商人や職人などの職能民が日本各地を遍歴しながら交易し、経済を支えていたとする説だ。

 それらの職能民の多くは天皇や神社に直属し、通行税を免除されるなどの特権をもっていたそうだ。また金融や商業分野では女性の職能民も活躍していた。

 夏目氏は、本書で何度も網野氏の書籍を引用している。また、直虎の生きた環境が、映画『もののけ姫』の世界そのものだと言っている。もののけ姫は、宮崎駿氏が網野史観をベースにして製作したといわれている。

 著者の仮説では、井伊家は「山の民」を統率する立場にあった。夏目氏のいう「山の民」は、山の中で生活し、狩猟・採集を主たる生計とする職能民たちを指す。彼らは、定住せず広い範囲を遍歴しながら行商したり、山で採れる資源を用いて鍛冶や大工、細工なども行っていたとされる。

 この仮説は、もともと井伊家が引佐地方の山間部で勢力を張っていたことや、菩提寺である龍潭寺の過去帳に職人が多いことが根拠になっている。また井伊家には南北朝時代の朝廷(南朝)とのつながりがあり、その権威づけが山の民を統率するのに役立っていたようだ。

 網野史観では、戦国時代の寺院が、「無縁所」と呼ばれ「アジール(その場所に入り込むと権力者の力が及ばなくなる治外法権的な場所)」として機能していたとする。夏目氏は、井伊直虎の龍潭寺での出家は、彼女を井伊家の宗教的支柱とし、龍潭寺のアジール化を意図したものではないかという仮説も提示している。確かに直虎自身、龍潭寺をアジールとして活用して一時的に敵から逃れ、そこで再起の機会をうかがっていたようにもみえる。

 私は専門家ではないので、これらの夏目氏独自の仮説がどのくらい確からしいのか判断はできない。ただ、いずれも大胆なものだけに、歴史家たちからのかなりの批判や論争を呼ぶことは避けられないだろう。本書に示された“夏目史観”の学問的な検証や議論が今後どう進んでいくのか、興味深く見守っていきたいと思う。(担当:情報工場 浅羽登志也)

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2017年1月のブックレビュー

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