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2016年8月の『押さえておきたい良書

通勤の社会史

辛い、疲れる「通勤」にも意義があった!?

『通勤の社会史』
 -毎日5億人が通勤する理由
イアン・ゲートリー 著
黒川 由美 訳
太田出版
2016/04 352p 2,600円(税別)

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 自営業やフリーランス、非常勤の会社役員などでもない限り、社会人にとって「通勤」は当たり前の日常的行動の一つだ。世界中でおよそ5億人がウィークデーの毎日、ほぼ決まった時間に、自宅と職場の往復を行っている。
 しかし、通勤に対してプラスのイメージをもっている人は少ないのではないだろうか。一定の非生産的な時間が発生し、利用する交通機関や出退勤のタイミングによってはラッシュに見舞われ体力を消耗する。痴漢やスリなどの犯罪被害に遭うリスクも生じる。多くの人にとっての通勤はいわば“必要悪”ともいえる。
 本書では、そんな通勤の現在・過去・未来について多面的に考察。“必要悪”にとどまらないポジティブな意義も見出している。
 19世紀英国の鉄道ブームに端を発する通勤の習慣は、都市化や郊外の発展、人々のライフスタイルや労働観の変化をもたらした。英国人ジャーナリストである著者は、通勤をめぐる歴史的経緯をたどりつつ、「通勤大国」日本をはじめとする各国の事情、ストレス源になるか否か、駅員や車掌、運転手の心理、将来通勤は必要なくなるかなど、実に多彩なテーマに挑んでいる。

近代の「個」の確立に一役買った「通勤」

“結局のところ、通勤とは二重生活をすることだ。私たちは、家では恋人や親や反逆児になれるが、仕事場では効率を何よりも重視する人間となり、公平で冷静で理性的であるように求められる。職場への移動は「他者と顔を合わせるための準備の時間」を提供し、生まれた土地に縛られたり、都会の罠に捕われたりしないための手段を与えてくれる” (p.15より)

 鉄道などの交通機関による通勤の習慣がない頃の人々は、仕事場(農場や鍛冶場など)と休息の場の環境がほぼ一緒であり、人間関係も大きく変わらなかった。ところが通勤が始まると、二つの環境が交代する「二重生活」を余儀なくされる。おそらく、このことで一人の人間が複数のアイデンティティをもつ、近代的な「個」が確立されたのだろう。また、移動によって「出会い」のチャンスが増え、恋愛結婚も盛んになった。そうして大家族よりも「核家族」が主流になっていく。

テレワークが普及しても通勤はなくならない

 通勤の未来について本書では、ITの発達などで可能になったテレワークの可能性に言及している。著者は、それでも「通勤はなくならない」と予測する。
 グローバル企業は、テレワークを使って、労働力の安い外国へのアウトソーシングを加速する。すると国内の労働者は職を奪われることを危惧して、物理的に職場に顔を出せるメリットをアピールするようになる。それが通勤がなくならない理由だ。さらに、テレワークの環境を整えるのに一役買ったIT企業ですら、「共同作業による予想外の成果が生まれない」として、「通勤がなくなる」ことに消極的なのだという。
 結局、「通勤とテレワークの組み合わせ」という働き方が一般的になるのかもしれない。それが未来社会にどんな影響を及ぼすのか。本書を読みながら想像を巡らせてみてはいかがだろうか。(担当:情報工場 吉川清史)

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2016年8月のブックレビュー

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